目立たぬように、はしゃがぬように

二年前に投稿したものです。
震災から五年になりますが、瓦礫の中で立ち尽くしていた時の気持ちをいつまでも忘れずに生きていきたいと思っています。

1986年にリリースされた 河島英五の時代遅れ

1986年といえば今から28年前、日本はバブル経済の真っただ中でした。
その中で作られた名曲 作詞 阿久悠 作曲 森田公一

無題サビの部分の一節  目立たぬように、はしゃがぬように、似合わぬことは、無理をせず
28年たとうとしている今妙に口に出てきます。何故か口ずさんでいるのです。

1986年当時私はjazzに夢中で歌謡曲はあまり聞きませんでした。
そしてカラオケで歌ったことさえありません。
ですから覚えているのはさびの部分の一節だけです。
目立たぬように、はしゃがぬように、似合わぬことは、無理をせず。それ以降はわかりません。

いつから口ずさむようになったのか
記憶をさかのぼると、どうやら、もうすぐ3年になる、2011.3.11の震災以来のようです。

当日は、仕事中でしたので津波のあった自宅からは、10kmほど離れた所にいました。
でも自宅に残した糖尿病の母を助けに自宅に向かったのです。
道路は大渋滞、信号は停電のため全面ストップ、やっとの事で自宅から2kmぐらいまで近づきましたが、 そこが限界、そこからは車を置いて、浸水している中を歩いて進みました。

もう時間は夕方5時ぐらいだったでしょうか、雪も降り相当の寒さでした。
自宅に近づくにつれ水位が増し、寒さと水位のためとうとう歩けなくなりました。
近隣の住宅は、みな避難所に行ったらしく人の気配はありません。(いろいろありましたが長く なるので省略します)この後2度程死に掛けましたが、何とか自宅にたどり着いたのは、夜9時位だった と思います。

しかし母はおりませんでした。家の中には流木やごみで足の踏み場もありません、箪笥の上に畳が乗っている状態でした。

そして翌日、母は、近所の叔母夫婦の家で3人一緒に溺死で発見されました。

私自身も、自宅に向かう途中流木に足を取られたり打ち付けたりで、生まれて初めて死ぬかもしれない という経験をし、それ以降、一時力が抜けた状況になりました。

そして、生きている自分にに感謝しました。自身も寒さと胸まで冷水に浸かった状態で、もし、進むのをやめていたら死んでいたでしょう。

今までは、生きていることが当たり前でしたが、今生きていることに感謝しようという気持ちになりました。

経営していたレストランも、壁は落ち、ガラスも壊れ、とても営業は無理。

その頃だと思います、昔聞いたことのある、河島英五のこの一節が「目立たぬように、はしゃがぬよう に、似合わぬことはむりをせず~~~」あとはわかりませんが、口に出てきました。脳の片隅に記憶さ
れていたのしょうか。

今は、自宅の再建はこれからですが、お店の移転もリフォームも終了し、去年の10月から営業も再開できました。

そして私のこれからの人生は、目立たぬように、はしゃがぬように、似合わぬことはむりをせず。
実際かなり目立たないレストランで、糖尿病の人に美味しい食事を食べてもらい、
震災ボランティアでお世話になった人には恩返しできませんが、間接的に恩返しします。
けしてはしゃがずに、似合わないお洒落な料理は出せませんが、体に良い料理を提供していきます。

震災からもうすぐ3年になります、その当時は、話せなかったことも、今やっと文章にすることができました。

瓦礫の中であまりの酷さに立ち尽くしていた時の独り言、「時間が解決してくれる」。
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次もまた別のテーマで掲載します。

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