チョコレートのホロ苦い思い出

大好きなお菓子と言えばバレンタインデーでお馴染み、チョコレート菓子があげられます。
今年も沢山のチョコレートが、本命義理を含め女性から男性に手渡されたことでしょう。
私は、残念ながら今年も(糖質制限中と皆に言っているのでしょうがない)1個も貰えませんでした。
チョコレートは、殆どの人が好きなお菓子の一つです。

RIMG0004カカオ自体は苦くて、とても美味しいとはいえませんが、これに甘みが加わると別物に変化します。
私は、糖質制限中なのでしばらく食べていませんが、以前は大好物でした。
自分でも、得意なお菓子に、ガトーショコラや
タルト生地に皮ごと焼いてトロトロに甘くなったバナナとチョコレート生地を流し込んで焼いた、チョコバナナのタルトは得意メニューの一つでした。(8年前の写真です)

クレープ生地に何層もチョコレートと、カスタードを重ねたミルクレープなど数え上げれば切りがありません。

苦いものは、人間の本能からすれば、毒を見わける(味分ける)大事な味覚だったのでしょう。
妙薬は口に苦し等ともいい、薬の代名詞でした。
苦渋を味わったなど、苦い経験をした意味にも使われています。

私の好きなjazzではスタンダードナンバーで「マイファニーバレンタイン」という名曲もあります。
マイルスデイビス・チェットベイカー、最近ではクリスボッティなどでもおなじみです。

ただ、バレンタインデーのチョコレートは、12月のクリスマスケーキ以降の、冷え込んだ菓子業界 を救う日本独特のもののようです。

ここで私の恥ずかしい、バレンタインデーの思い出を(時効)お話しします。
私は、以前トロンボーン奏者として、プロで仕事をしていたということをお話ししましたが。

20才で東京に出るまでは、地方都市のキャバレーで仕事をしていました。
仕事場の近所に、昼喫茶店、夜スナックのような店があり、そこに年上の女性がアルバイトで働いていました。
その店は昼の練習が終わった後など、先輩と18歳にしてはまだ苦いコーヒーをよく飲みに行っていました。

2月13日その日は珍しく一人でその店に行くと、お客は誰もいなく、彼女一人だけでした。
そして、いつものコーヒーを飲んで帰ろうとすると、彼女は、小さな粒を1個ずつ綺麗に包んだ チョコレートの包みを、私に渡すのでした。
そこで、私はとんでもない勘違いをしてしまったのです。
てっきり自分が貰ったものと思い有頂天になっていたのです。

よく考えれば、いつも一緒に来る先輩が来ないので、これを渡して頂戴ね、という意味だったのでしょう。
(まだ女の気持ちが読み切れない年頃でした)
そして、高校は男子校でしたのでチョコレートを貰うなんて、初めてでしたし、チョコレート大好きでしたので、あっという間に食べてしまいました。

翌日今度は、お礼を言おうと早めに一人で行ったところ、店に入るとすぐ「ねえ、渡してくれた」と言われ、そこで気が付きました。 「あ、忘れてた」、と言いすぐに店を出ました。

その後、何とか同じ包みのチョコレートを、探すことができ、無事2月14日先輩にそのチョコレートを届けることができました。

一件落着、これで無事解決やれやれ、でも食べてしまったものはしょうがありません。
同じものが見つかって本当によかった。

バレンタインデイの頃が来ると、思い出す「ほろ苦い思い出」でした。

苦いものは、不味いものです。でも甘みが入ると別物に変わります。

これから生きていく上で、くれぐれも甘さに(糖質とうまい話に)騙されぬよう気を付けたいものです。

1枚のクラシックCDとちょっといい話

14年前、初秋のレストランでのお話です

※2014/2/25に投降した記事です。

レストランを営業していますと、色々な人との出会いや、物語があります。

暑い夏が過ぎ、気持ちのいい風が吹き始めた初秋のある日、常連のグループ8人の食事会でした。

その中の1人、初めての男性のお客様で、年齢は40代中頃でしょうか。
ダジャレを連発する、どちらかというと私の苦手とするタイプの方でした。

食事会も楽しく終わり帰り際に、その男性が今度女房と来たいので予約をしたいと言ってきたのです。
どうやら結婚記念日のようでした。

まあ、苦手なタイプでしたが「お客様」特別断る理由もなくお引き受けしました。

DSCN0034そして当日、本人には失礼ですが、どうしてこの女性がこの男性と、と言いたくなるような素敵な女性と現れたのです。
そして、態度も、ダジャレを連発していた前回とは違い、紳士で、やさしそうなご主人でした。

その日は、ランチタイムも忙しく、数日前買ってきたクラシックCDを朝からエンドレスで流しっぱなし、
そしてこのCDは私の結構お気に入りで、いい音楽を聴くと仕込みもはかどります。
そしてディナーに入っても流していました。

コース料理も中盤、ご主人がトイレに立たれました。
そして私が皿を下げに行きますと、
奥様が突然小声で「どうしてこの曲をご存じなのですか」と質問してきたのです。

〔店内には、月光ソナタ~第1楽章 (ベートーヴェン) / 神谷郁代(ピアノ)が流れていました〕

「この曲は主人と結婚する前に、とてもいい曲だと彼が私に勧めてくれた曲なのです」と奥様。

結婚記念日に馴れ初めの曲とは、偶然でした。
何かとても好いことをしたような、すがすがしい気持ちにさせられました。

そして食事も終わり、お帰りになるときのお二人を見て、第一印象とは違いとてもお似合いの素敵なカップルに思えました。

きっとご主人はシャイな方だったのでしょう。

それ以来、10年以上たった今でも、このCDをコース料理のバックで流し続けています。

ちょっといいCD

「Gentle Brown」
制作・製造元:BMGビクター

01 白鳥 (サン=サーンス)  2分51秒      アーサー・フィードラー指揮 ボストン・ポップス管弦楽団
02 バッヘルベルのカノン (バッへルベル) / アマデウス室内管弦楽団  5分57秒
03 月光ソナタ~第1楽章 (ベートーヴェン) / 神谷郁代(ピアノ) 7分45秒
04 弦楽のためのアダージョ (バーバー)  7分42秒      シャルル・ミュンシュ指揮 ボストン交響楽団弦楽器奏者666
05 亡き王女のためのバヴァーヌ (ラヴェル)  6分29秒      ユージン・オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団
06 ラルゴ「オンブラ・マイ・フ」 (ヘンデル)  6分08秒      アーサー・フィードラー指揮 ボストン・ポップス管弦楽団
07 アルビノーニのアダージョ (アルビノーニ)  9分25秒      ジャン=フランソワ・パイヤール指揮 パイヤール室内管弦楽団
08 ハイドンのセレナード (ハイドン)  2分53秒      ジャン=フランソワ・パイヤール指揮 パイヤール室内管弦楽団
09 交響曲第3番~第3楽章 (ブラームス)  6分26秒      フリッツ・ライナー指揮 シカゴ交響楽団
10 ワルツ「弦楽セレナード」より (チャイコフスキー)  3分52秒      アーサー・フィードラー指揮 ボストン・ポップス管弦楽団

次も別のテーマで掲載します。お楽しみに。

目立たぬように、はしゃがぬように

二年前に投稿したものです。
震災から五年になりますが、瓦礫の中で立ち尽くしていた時の気持ちをいつまでも忘れずに生きていきたいと思っています。

1986年にリリースされた 河島英五の時代遅れ

1986年といえば今から28年前、日本はバブル経済の真っただ中でした。
その中で作られた名曲 作詞 阿久悠 作曲 森田公一

無題サビの部分の一節  目立たぬように、はしゃがぬように、似合わぬことは、無理をせず
28年たとうとしている今妙に口に出てきます。何故か口ずさんでいるのです。

1986年当時私はjazzに夢中で歌謡曲はあまり聞きませんでした。
そしてカラオケで歌ったことさえありません。
ですから覚えているのはさびの部分の一節だけです。
目立たぬように、はしゃがぬように、似合わぬことは、無理をせず。それ以降はわかりません。

いつから口ずさむようになったのか
記憶をさかのぼると、どうやら、もうすぐ3年になる、2011.3.11の震災以来のようです。

当日は、仕事中でしたので津波のあった自宅からは、10kmほど離れた所にいました。
でも自宅に残した糖尿病の母を助けに自宅に向かったのです。
道路は大渋滞、信号は停電のため全面ストップ、やっとの事で自宅から2kmぐらいまで近づきましたが、 そこが限界、そこからは車を置いて、浸水している中を歩いて進みました。

もう時間は夕方5時ぐらいだったでしょうか、雪も降り相当の寒さでした。
自宅に近づくにつれ水位が増し、寒さと水位のためとうとう歩けなくなりました。
近隣の住宅は、みな避難所に行ったらしく人の気配はありません。(いろいろありましたが長く なるので省略します)この後2度程死に掛けましたが、何とか自宅にたどり着いたのは、夜9時位だった と思います。

しかし母はおりませんでした。家の中には流木やごみで足の踏み場もありません、箪笥の上に畳が乗っている状態でした。

そして翌日、母は、近所の叔母夫婦の家で3人一緒に溺死で発見されました。

私自身も、自宅に向かう途中流木に足を取られたり打ち付けたりで、生まれて初めて死ぬかもしれない という経験をし、それ以降、一時力が抜けた状況になりました。

そして、生きている自分にに感謝しました。自身も寒さと胸まで冷水に浸かった状態で、もし、進むのをやめていたら死んでいたでしょう。

今までは、生きていることが当たり前でしたが、今生きていることに感謝しようという気持ちになりました。

経営していたレストランも、壁は落ち、ガラスも壊れ、とても営業は無理。

その頃だと思います、昔聞いたことのある、河島英五のこの一節が「目立たぬように、はしゃがぬよう に、似合わぬことはむりをせず~~~」あとはわかりませんが、口に出てきました。脳の片隅に記憶さ
れていたのしょうか。

今は、自宅の再建はこれからですが、お店の移転もリフォームも終了し、去年の10月から営業も再開できました。

そして私のこれからの人生は、目立たぬように、はしゃがぬように、似合わぬことはむりをせず。
実際かなり目立たないレストランで、糖尿病の人に美味しい食事を食べてもらい、
震災ボランティアでお世話になった人には恩返しできませんが、間接的に恩返しします。
けしてはしゃがずに、似合わないお洒落な料理は出せませんが、体に良い料理を提供していきます。

震災からもうすぐ3年になります、その当時は、話せなかったことも、今やっと文章にすることができました。

瓦礫の中であまりの酷さに立ち尽くしていた時の独り言、「時間が解決してくれる」。
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次もまた別のテーマで掲載します。

利益は目的か手段か糖質制限食

我々が実践している糖質制限食について、今まであまり考えなかった、
目的や手段について、今回取り上げて見ました。

これまで、医学、栄養学、に触れてきましたが今回は経済学になります。
誰にでも解る様に、そして簡単な言葉で解説しますのでどうぞお付き合いください。

それでは、目的と手段について、実際に例を示してみました。

作る場合
目的は、糖質制限食(完成させる)
目標は 低糖質・美味しく
手段は、食材を調理する

食べる場合
目的は、健康や血糖値の改善
目標は 血糖値・体重等の数値
手段は、糖質制限食(食べる)

糖質制限食を作って食べるまでに、目的にもなり、手段にもなることが分かりました。

別の例をご覧ください。

小学生の場合
目的 テストで良い成績をとること(小学校で)
目標 〇〇点取る
手段 算数や国語などを勉強する。

中学・高校生の場合
目的 高校・大学に入学すること
目標 合格圏内に入ること
手段 テストで良い成績をとること(入学試験で)

つまり、目的と手段は相対的に決まることがお分かり頂けましたでしょうか。

次に目的と手段そして目標を含め整理してみました。

目 的とは、目指す事柄を言います

目 標とは 目指すべき状態(定量的・定性的に表されます)
目指すべき具体的なもの(模範的な人物や特定の資格など)

そして、目標に意味が付加されて目的となります。
意味とは、それを目指す理由であり、その行為に自分が見出している価値や動機のことです。

したがって 目的=目標+意味となります。

手段とは、目指す事柄を実現する行為・方法・要素です。

ここから本題に入ります。

企業が(個人を含め大小を問いません)糖質制限食を販売する場合について考えていきます。

2通り考えることができます。

(A)
目的は、利益
目標は 売上高〇〇〇〇円
手段は、糖質制限食(販売)

(B)
目的は、購入者のメタボや糖尿病(血糖値)の改善
目標は、多くの人に食べてもらうこと、 そして購入者の血糖値・体重等の数値
手段は、糖質制限食(販売)

(A)の場合目的は利益です、(B)の場合目的は購入者のメタボや糖尿病(血糖値)の改善です。
私の考えは、(B)すなわち、目的は購入者のメタボや糖尿病(血糖値)の改善だと思うのです。

それでは、販売によって生じた利益はどう考えたらよいのでしょう。

利益は結果的(営業行為の結果)に生まれる(果実)「成果・報酬・恵み」と考えます。

それでは利益は、目的でしょうか手段でしょうか

利益は手段と考えます。

利益は、次の商品の開発や、企業組織維持(従業員に対する給料の支払いや、設備投資など)の為の手段です。

けして利益を上げることを否定しているわけではありません。 松下幸之助氏が言われた、企業の使命達成に対する報酬として考えたわけです。

結 論

利益は目的ではなく手段である。

  • 利益は、次の商品の開発や、企業組織維持(従業員に対する給料の支払いや、設備投資など)の為の手段です。
  • 目的は購入者の健康(メタボや糖尿病(血糖値)などの改善)です。「ドラッカー」の言う、組織の目的は、「人と社会に対する貢献」です。

■「本質的には利益というものは企業の使命達成に対する報酬としてこれをみなくてはならない」
松下幸之助『実践経営哲学』

■「組織は、自らのために存在するのではない。組織は手段である。 組織の目的は、人と社会に対する貢献である。 あらゆる組織が、自らの目的とするものを明確にするほど力を持つ」。
ピーター・F・ドラッカー『断絶の時代』
(私はその手段である組織を維持するための、手段(相対的手段)が前述の利益だと思っています。)

 

終わりに
糖質制限食の普及に伴い、糖質制限商品の販売やアフリエイトを目的としたサイトが増えてきました。

糖質制限商品だからと高額な販売(消費者の足元を見た販売)をする企業もあります。

また単にアフリエイトだけを目的としたサイトには、内容に間違いなども多く気をつけたいところです。
(一見情報提供をしている様で、最後に商品を売りつけるサイトも目立ちます。)

 

サイト、INSIGHT NOWを参考にさせて頂きました。詳しく勉強されたい方は是非ご覧ください。

次回も別のテーマで掲載します、お楽しみに。

参考にさせていただいたサイト
〈Wikipedia〉http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%AE%E7%9A%84
〈INSIGHT NOW〉http://www.insightnow.jp/

マニュアル化されたサービスに慣れてしまった日本人

ちんどんで始まる筒井康隆の「昔はよかったなあ」、今から20年以上前に発売された新潮カセット文庫。

筒井康隆本人が朗読するもので、その頃、大の筒井ファンであった私は、テープが伸びきるほど聞いたものでした。

無題「昔はよかったなあ~~~」

銭湯には、薬油などとゆうものがあってな、ここだけは男女混浴だった。

あふふふふ

女子学生は皆袴などを穿いておってな、国辱だなんて言われおったものだが、

ん~~ 宝塚歌劇の娘どもが流行らせたらしい、ちょうど葦原邦子などという

ものがモンパリーというグランドレビューなどというもの上演しておった。

女などというものは、そのころ滝転びとゆうてな、下女と妾を兼ねたものを

雇って手当がその頃3円から5円くらいのものだった。と続く。

痴呆気味の老人が、昔のことをアルコトナイコト、ほとんどナイコトを若者らしき者に永遠と話すのです。
なんともバカバカしいストーリー、でもこれがまた面白いのです。これだけ出鱈目を連発されると、
なぜかつい、うなづいてしまうのが不思議でした。

今日のテーマは、マニュアル化されたサービスに慣れてしまった日本人です。 皆さんはここで、はあ、「昔はよかったな」などと持ち出すからにはマニュアル化されたサービスを、否定または非難するのだとお思いでしょう。 でも今日はちょっと違うのです。

私の子供のころ、40年から50年前は、身近にマニュアルなどほとんど存在しませんでした。 駄菓子屋のおばあさんは、勘定を間違えることもありましたし、もちろんレシートなどもらえませんでした。 酒屋のおばさんなどいくら呼んでも出て来ませんでした。そして無愛想でした。 そして、それが当たり前だったし、それが普通だったのでした。

現在はどうでしょう。

コンビニに入れば、まず自動ドアが反応しピンポンとなり、次に一斉に「いらっしゃいませ」と声を掛けてくれます。
銀行に行けば呼び出されるとき「○○様」と様をつけて呼び出して下さいますし、おまけに笑顔も忘れません。 まあ、今時何処に行っても、ミスはないし、心地よく対応してくれます。

大手のスーパーも、接客の教育が進んでおり、挨拶も両手をお腹のところで重ね、きちんと挨拶してくれます。

それに、もちろん飲食店業界も負けてはいません。 大手居酒屋チェーン・ファミリーレストラン・ファストフードなど、ありとあらゆる所でマニュアル化したサービスにより心地よく、間違いのないサービスを受けることができます。

愛想が悪いよりは、誰でも愛想のいいほうが気持ち良いのです。

でもたまに、なぜか筒井康隆の「昔はよかったな」という朗読の声が聞こえてくるのです。内容はナンセンスの連発なのでどうでもいいのですが。

マニュアルのおかげでこんなに便利になり、心地よく暮らせるようになったのにどうしてでしょう。

今から35年ほど前のお話です。 私は、18から30才までプロの演奏家(トロンボーン奏者)として仕事をしていました。 神奈川県川崎市での仕事が月に二度ほど有り、その時よく行った食堂を思い出します。 その食堂は、漫画でお馴染みの「深夜食堂」の様なところで、川崎駅の近くの雑居ビルの1階にありました。 店主は強面ですが、無口で、黙々と仕事をする気持ちの優しい人でした。 私は、いつもの様に卵焼きと焼き魚の定食でした。

そのあと、サラリーマンらしき、常連ではなさそうなお客が入ってきました。 そしていきなり、ビールとトン汁定食(よく覚えていませんがそんな感じでした)と、そこまではよかったのですが、 だんだん雲行きが怪しくなってきました。

客が混んでいたのと、ご主人1人で切り盛りしているため、5分たっても10分たってもトン汁どころかビールも出て来ません。
サラリーマンらしき男が、突然立ち上がり、大声で「ビールぐらい出せよ」と、 それに対しご主人が、顔色一つ変えず言ったのは、「順番」と一言。
軽く交わされたサラリーマンは、黙って食べずに帰りました。

小林薫
阿部夜朗原作の漫画で、4年ほど前にテレビドラマ化された「深夜食堂」のマスター役を演じた、小林薫と重なるもがありました。 この店には、マニュアルなどありませんし、待たされるのが当然、今の様なサービスを期待してくる客はいなかったのです。 いつもの、美味しい定食を食べたくて、ただじっとっ待っているのでした。

今は探してもなかなかこういう食堂は無くなりました。 お解かりの様に、そのような接客ではお客は入りませんので、そういう店は淘汰されていったのでしょう。

今はビールなどすぐ出てくるし、料理もすぐ出てきます。 注文を受けてから卵焼きなど焼きません。注文する前にもう出来てます

大手の飲食店チェーンが資本力にまかせ、どんどんお店を増やしています。 働いている人の多くは、フリーターや学生、そしてマニュアルが大活躍、若いので覚えも早くすぐ使えます。 我々とは雲泥の差があります。

そして、大手の飲食店チェーンに客を奪われ、小規模店舗の経営はますます厳しくなる一方です。

でも、前向きに考えましょう、マニュアル化されていない、味のあるお店を求めるお客もいるのです。
我々も客として本当にいいお店を残すためにも、心の触れ合う新宿四丁目の「深夜食堂」のようなお店にも 行きたいものです。

私も昔からマニュアルに対応できない生き方の不器用な人間です。 そして私は糖尿病で糖質制限食実践中なので炭水化物は食べられません。 でも、本当は深夜食堂のような、「めしや」がやりたかった。

menyu-初めての方の為に深夜食堂とは、
新宿四丁目にある、 営業時間が深夜0時から朝7時ごろまでという 「めしや」
「いらっしゃい、メニューは豚汁だけ、あとは出来るものなら何でも作るよ」という粋な店。

番組で出された炭水化物は、

  • 売れない演歌歌手(田端智子)が食べた、炊き立てのご飯に削りたての鰹節と醤油をかけた「猫まんま」
  • 料理評論家(岩松了)が流しのゴローさん(あがた森魚)と食べた、あったかいご飯にバターを乗せ、ほんのちょっと醤油をかけた「バターライス」
  • アラフォー女性三人が食べた、仲直りの「お茶漬け、サケ・梅・タラコ」
  • AV男優(風間トオル)が食べた、痴呆になったお袋さんの、思い出の「ポテトサラダ」
  • 勝てなかったボクサーと母子の「勝丼」と幸せの「親子丼」
  • 新聞配達少年(苦学生)の、淡く叶わぬ恋「卵サンド」
  • 悩める女優(you)が食べた「ソース焼きそば目玉焼き乗せ、四万十川の青海苔をふりかけて」
  • 悩める女優の父親(ホームレス)がマスターの財布を拾い、お礼にご馳走された「豚汁定食」
    スクリーンに向い、自分の娘に指を指すシーンが泣けました。
  • 警察に追われるチンピラが息子と食べた、出頭前の「海苔を乗せたインスタントラーメン」
    ほかに、炭水化物ではありませんが
  • ヤクザ(松重豊)と年増オカマ片思いの名作「(6本足の)赤いウインナーと卵焼き」
  • 現役ストリッパーマリリン松島と元人気ストリッパーローズ美千代(リリィ)の心温まる「鯵の開き」(脚の開きにカケてありました)

どれも炭水化物たっぷりで美味しそうでした。 番組は30分と短いものでしたが、内容もよく出来ており、すべて泣けました。泣いた後はお腹がすきます、放送時間もやはり深夜でしたので、見終わった後によくコンビニに炭水化物を買いに行ったのを思い出します。

それでは結論です。

マニュアル化されたサービスは大賛成です。不愉快な対応を受けたり、間違えたりされるよりはましです。
そして、マニアルに慣れてきたら、また余裕ができたら、心を込めた挨拶や対応ができるように、努力又は指導すればいいでしょう。
以前に比べると一部のコンビニを除き、本当に良くなったなというのが実感です。

それから、マニュアル化されていない、味のあるいいお店も大事にしたいものです。
不器用で時代の波には乗れないものの、一生けんめい、ひたむきに商売している方が沢山います。
そういうお店が無いと、どこへ行っても、どこで食べても同じ味や接客となりつまらないのです。
最初は愛想が悪くても、何度か通ううちに、お互いに心が通じ、マニュアルでは味わえないものが得られるはずです。
最後に、頑固で融通のきかない、私のレストランもお忘れなく。

追記
本当は、深夜食堂について書きたかったんです。

次回も別のテーマで掲載します。お楽しみに。